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| Ben Taylor |
芸術が私の人生に関わるようになったのは、17歳のころでした。 の を振り返ってみると、誰かに自分がやったことがよかったよ、と言われ、その感動を誰かと共有したのは、学校生活で の時が初めてだったと思います。この瞬間にスイッチが入ったのです。そして私の人生が動き始めました。ついに自分の方向性が見つかりました。アーティストになろうと決心しました。写真を撮り、様々な種類のコラージュを作成すると、学校の美術担当の先生は、高い評価をたくさんくれました。これが、創造性へつながる扉を開ける一歩になりました。創造への気持ちをかきたて、多いに自信を与えてくれた先生達に、心から感謝しました。
高校を卒業後、人生の次なるステップはアートスクールしかないと思いました。その形式ばった授業が嫌になるまで、さほど時間がかかりませんでした。私がしたかったことは、アートを創造することで、値打ちのない評価が下される無作為な課題を提出することではなかったからです。高校時代に、十分嫌な経験をしましたので、アートスクールを退学するまでに、さほど時間はかかりませんでした。
この が私の人生のどん底でした。方向性が全く見えず、目的も見出せずにいました。生きていても、死んでも、どうでもいいことのように真剣に思っていました。生きることに興味がないなら、「自分の人生を芸術に注ぎ込め」と友人に言われました。また彼は、本当の芸術を造り始めること、絵を描き、色を使って描くことが必要だと言いました。私は、絵も描けないし、絵に色も塗れないと言いました。何かを造ろうとすると、いつもひどいものになりました。すると彼は、「何かを造ろうなんて考えないことだ。単純に絵を描き、色をつける。そしてそこに何かが見つかれば、その価値を高め、際立たせるようにすればいい。」と言いました。自分の時間の一瞬一瞬を使って絵を描き始めました。周囲の人たちは、私の描いたものが落書きのようなもので っても、ほめてくれました。それから色を使って絵を描くようになり、友人は励まし続けてくれました。
芸術は、私を癒してくれただけでなく、どん底から引き上げてくれ、私に自分だけの専門分野を与えてくれたのです。作品を造っているとき、それが自分が全力を注ぐことのできる世界なのです。実際に今していることが何か、入り込もうとしているものは何かに気づくまで、7年の年月がかかりました。それからというもの、自分の技能を修得するため、そして芸術、人生と現実を見つめるために、過去6年を費やしました。この約13年間、いたずら書きをしてきたようなものですが、今言えることは、私はいろいろじっくり考えてきたということです。私の作品、世界にむけたメッセージ、そして個人的なビジョンに満足いただけたらうれしく思います。
実際の芸術に限定されるだけでなく、私はギターをひき、鼓をたたき、dj テクノやテックハウス ミュージックを演奏します。10代の から、スケートボード、スノーボードに夢中になっています。踊りは情熱です。踊ることで、この世界に存在するエネルギーとパワーを表現することができ、共感を呼ぶことができます。また自然や母なる大地と過ごすこと、ハイキング、バイク、キャンプ、スイミング、釣り、そして森の中や海の上といった隠れた場所でゆっくりすることが好きです。次の2年半にしたいことは、母船の乗船用に準備されたSpace Odyssey 2010と言うミュージックアルバムを制作することです。
思春期における変化の時期は、かなり普通でした。夏には、スイミングチームが り、みんなと違うと笑われたり、カソリック スクールに通う間は本の虫だと笑われました。また友人と森に行って兵隊ごっこをしたり、キャンプに行ったり、家族との楽しい思い出が ります。初めから、 らゆるすべての問題に首を突っ込んでいました。Peter Rabbitや映画「ジャイアント・ピーチ」に登場するJamesに加えて、Curious Georgeは、大好きなキャラクターのひとつでした。すべては冒険で り、世の中を探索し、良いも悪いも経験できるものはすべて経験しようと思いました。
私は本を読むことが大好きだったので、10代前半は、ファンタジーへの世界に引き寄せられました。本を読むことで、キャラクターと友達になって、一緒に探検に出かけることができましたが、自分だけの冒険旅行に出かけたくなりました。10代中期には、反抗期は絶頂期を迎え、女性だけでなく、 らゆることに興味を持ち、様々なトラブルを起こすという、人生の る時期に突入しました。10代の若者にハッピーエンドで終わるこの手のたぐいのものは無く、すぐに高校を退学し、ロックバンドのGrateful Deadを真似して、ラガマフィン ソウルスピリットを唱えてみたり、そしてどんな人生がこの先に るのだろうかと考え始めました。人生に対する答えを探し求めているとき、自分を一番愛してくれる人達、家族や友人の話に耳を傾けることが、今まで経験した中で最も価値の ることだと気が付きました。
このような道を歩いてきましたので、私の青春時代は、良かったり悪かったりの連続でした。世界を見てみたいと思いましたが、物質的にも、精神的にも、情緒の基盤も確立されていなかったので、私の求めるShangri-Laには到達しませんでした。
20代前半には、コックとして働き、人々をバックパッキングの旅に連れて行ったり、農業学校に入学を試みたり、農家で働いたりしました。ガラス吹きの見習いをしないかという話が ったのは、ちょうどこの で、人生を漫然と過ごしていたころでした。神秘的で人の創造をかきたてる媒体を使って何かを作り出す方法を学ぶことには、なんら抵抗が りませんでした。一年以内に、Western Massachusettsに小さなスタジオを構え、ゆっくりですが確実に、自分の作品を繁栄させてきました。また初めて世俗的成功の世界に入り込んでいく自分を発見しました。
自分の興味を探求するためにさらに時間を費やし、Djのアトモスフェリック・ドラムンベース、ジャングル、ダウンテンポ ミュージックを始めました。幸いなことに、世界的に有名な多くのエレキミュージシャンに、個人的に接することができたので、すぐに才能が開花しました。レコード会社とcdの複製会社をスタートさせたことで、北米やメキシコの音楽に触れ、大都市やフェスティバルを見てまわる中で、自分はなんていう道楽の旅をしているのだろうと思いましたが、今まで自分では想像もしたことがなかった、人生に対する見方を持った人にめぐり会ったことは、最高に意味の ることでした。20代半ばでは、素晴らしい親しい友人に恵まれました。キューバ、パナマ、コスタリカなどのエキゾチックな場所を旅し、そして、冒険の旅、愛犬とカヤックと共にカナダ14,000マイルのロードトリップを実現させました。
翌2年間は、地理的変動のための時間にしようと考え、ロサンジェルスに引っ越しました。天使の住む街(the City of Angels)では、私は真のルネッサンス マンに変身しました。ここでの4年間は、テレビ番組を担当し、ガラス吹き学校を開校し、また主要dvdシリーズのマーケティングを率先しベテランのテクニシャンになりました。カリフォルニア南部の温かさとエネルギーは、気持ちをワクワクさせましたが、2006年の夏、めまぐるしい周囲の変化が、突然私をイーストコーストに戻ろうという気持ちにさせました。西部の太陽と雲ひとつない空が、私の帰りを待ち望んでいたことは承知していました。
しばらく家族や旧友たちと時間を過ごしながら、動物病院の集中治療ユニットのテクニシャンの仕事を始めました。まもなく、Maine に長く住む友人のJason Tremblayと再会しました。達成したいものは何かについて、いろいろ意見を交換しているときに、Jayと私、2人の進む道は、同じところに到達することを発見し、Team Space Pirateのアイデアが生まれました。
私が経験し学んできたことの多くは、統合されているように思えますが、しばしば同じ間違いを繰り返します。現在は、自分自身を許し、次に進むことを学んでいます。私のカップは、常に半分だけが満たされています。時には、日が昇るのを見つめ、愛犬と散歩をし、良い本を読み、愛する人と大切な時間を過ごし、美味しい料理を堪能しながら、時間を大切にし人生を楽しむようにしています。世界で起こる出来事の展開を見つめることは、夢中なってしまうことのひとつです。ほとんどの時間は、腕を空、太陽に向かって思い切り伸ばし、素晴らしい人生、さらにもっと素晴らしい人生はどう るべきかに対するビジョンを共有したいと考えています。